気持ちのいいサービスを受けるには

気持ちのいいサービスを受けるにはきちんと説明することが大切ではないか、と考えます。

例えば、良いお医者さんはいないだろうか?と言う方がいらっしゃいますが、どういった意味で良いお医者さんなのでしょうか?的確に問題を見つけ出し、早く治してくれる、と言ったことでしょうか。そのために患者さんは黙っていてもやってくれる、と思っているのであれば、少しコミュニケーションをとることについて勉強が必要でしょう。

ずっと通っているお医者さんはきっといいやすいでしょうし、やり取りも慣れていますね。しかし、名医といわれる人に行けば、そう言ったやり取りもなくても名医だからすぐに解決してくれる、と考えるのは調子がいいように思います。

病気や怪我、それに対する痛みの度合い、治り方は、人によっては違います。
それであるならば、きちんと自分はどう言う状態があると言う事前情報なども出しておくことが必要ではないか、と思うのです。その説明の手間を面倒だからと省いてしまうともしかしたらすぐに治るかも知れない病気や怪我なのに何度も通院しなくてはならなくなります。

やはりそこもコミュニケーションなのです。

きちんと相手(お医者さん)に伝わるように説明できることが大切です。だからと言って初めての診察で多くの時間を避けるわけではありません。常日頃から短い時間に上手に自分のことを説明しておくことで限られた時間内にも自分の症状や癖をある程度うまく伝えられるのではないでしょうか?

このように気持ちのいいサービスを受けるには患者さん側、つまり自分の方でもできること、コミュニケーションをきちんととることはきちんと心がけておくことが重要だと思います。それをするだけで受けるサービスの質が変わってくるからです。

もちろん病院だけでなく、修理をお願いする、何か手伝ってもらう、教えてもらう、等、誰かからしてもらうこと、つまりサービスを受けるのであれば、ただぼーっと何もいわずにやってもらうのではなく、自分からも状況や具合を説明できるようになっておきたいものです。

仲間の輪を広げてコミュニケーションスキルを上げる

仲間の輪を広げていくことはコミュニケーションスキルを磨く上で重要だと思います。

心を開いて安心する友がいれば十分だと考えることもありますが、それではコミュニケーションスキルを上げることはできないかもしれません。

そもそもコミュニケーションスキルとはどう言ったものででしょうか。ここでは様々なバックグラウンドの人ともスムーズにコミュニケーションできること、と考えてみたいと思います。

仲の良い友がいれば十分だと思っているとツーカーで通じる部分も多く様々な人と出会う世界では生きづらいかもしれません。もちろん、コミュニケーションスキルなどなくとも快適に暮らしていける、と考えそれで満足であればあえて仲間の輪を広げていくことは必要ないかもしれません。

コミュニケーションスキルを上げたい方はそうではないでしょう。話題を広げる方法、自分とは違うタイプの方との接し方、など本などで勉強するかもしれません。しかし、それでうまくいくことは稀かもしれません。水泳をするのに本だけを読んでいたからと言ってうまくなるでしょうか?やはり練習、つまり実践練習をしてこそ泳げるようになりますよね。

コミュニケーションスキルも同じです。自分と違うタイプの方と会ってすぐに打ち解ける、もしくはコミュニケーションを円滑にする、というのは簡単ではないのかもしれません。

そのようなときのために、あえて自分と違うタイプの人と積極的にコミュニケーションをつないでおこう、とするのは少し骨の折れる作業です。もしかしたら渋々するのかもしれません。

それであれば、仲間の輪を広げていき、そこでいろんなタイプの方と接していく、という方が楽かもしれません。仲間の輪を広げるのは自分の興味のあるところから接点があるといいでしょう。気になっていた習い事をはじめてみる、気になっていた勉強会に参加してみる、誘いを受けた食事会に参加してみる。そのようなところへ参加してみることで新しい出会いがあるでしょう。そこで今までの自分の周りにはいなかった方々と接する機会が増えていけば自ずとコミュニケーションの幅が広がります。

ポイントは参加してみる、やってみる。そうするとそこで新たな出会いがあり、必ず様々なバックグラウンドがある人がいることに気づきますね。そのようなことをしておくと、自然とコミュニケーションスキルは上がっているかも知れません。

一手間を加えてみる

マンションでエレベーターが一緒になる。
散歩でよく見かける。
駐車場でよく出会う。
買い物で会話をしてみる。

このような場合に挨拶をするようになったり会話が進むようになったことはあるでしょうか。そのようなときに挨拶以外にも天気のことであったり時事のことであったり、少しだけ加えてみると会話が広がって行くのではないでしょうか。

一言、何か言ってみることでどのような反応が返って来るでしょうか?そこから広がって知らなかったことを知ることができたり共通の話題が見つかるかもしれません。しかしながら、それらはたまたまのもの、せっかく会話のチャンスがあるのだから一言二言喋ることができたらそのすれ違った時が気持ちがいいものになるのではないでしょうか?

人によってはそれが面倒臭い。
と思うこともあるでしょう。けれども、ちょっとしたことでその場の空気が気持ちよくなるのであれば、それがいいと思うのです。

効率化を求められている時代ですが、会話すらも必要以上はしないのであれば、世界が広がることチャンスも少ないのではないかと思います。世界を広げることに興味がないと言っても世界と繋がって生きているわけですからそこでの自分の存在が不快な印象を与えるよりも気持ちいいものを与えられる方が生きていく上で自分にとってもいいのではないでしょうか?

またスムーズ以外にもこのようなちょっとした会話の流れを持つようにしておくと何かちょっと会話をして場を和ませることが必要だった場合にも自分からそのような空気を作り出すことも普段からそのようなことをしているので難しいことには感じられず円滑なコミュニケーションをとることができると思います。

そう言った意味においても普段から少し手間を加えて挨拶以外にも一言二言加える。その一手間をすることによってより良いコミュニケーションが取られるならばやらない手はないと思います。

興味を持ったもの・ことを始めてみる

興味を持ったもの・ことを始めてみるというのは様々な価値観に触れることでもありますし、またコミュニケーションの幅を広げることでもあります。

様々な価値観というのは、例えば、ジョギングをすることに興味を持ってみるとします。最近周りで走っている人をよくみるし、なんとなく走ってみたいなと思ったりしたらまずは始めてみる。すると走る時の天候を気にするようになったり、走るスニーカーにもこだわりを持つようになるかもしれません。最初は近所を少しだけ走っていたのがだんだん距離が伸びたり、走る頻度が増えたり、と変化があるかもしれません。マラソン大会に出てみよう、とか。そうすると今まで走っていないときには見えていなかった走ることの価値観に気がつくことがあると思います。

こうなって来るとたまたま会話したときにジョギングや筋トレの話になったときにも同じような話題としてジョギングの経験も生きて来るのかもしれませんね。もちろんコミュニケーションのために始めたわけではないのですが、何か始めてみるとその始めたことから広がる知見があるのだと思います。

会話が広がるきっかけがあれば、コミュニケーションの話題も広がりますし、他者への共感が増えて、コミュニケーションをよりスムーズになって来るのではないでしょうか?今までは怪我をしたと聞けば、大変だな、と思ってもその痛みを経験していなければわからなかったことも、そういえば走り方が悪いときには痛みが出て治るのに時間がかかったな、とかそういうちょっとしたことにも気が回るようになるかもしれません。

本からもそのような知識は手に入るでしょう。そのような形で相手の方との対話いで生きて来るものもあるでしょう。

加えて経験したことであればより相手への共感ともなりますし、相手も同じ経験をしたのだからと話してもらっている話に対してより聞く耳を持ってもらえるかもしれません。

興味を持ったら始めてみるとその経験はのちのコミュニケーションで必ず生きて来ると思います。いろいろな経験がより良いコミュニケーションをサポートしてくれるのではないでしょうか。

気持ちが伝わらない相手とは…

どうしてもリズムが合わない、話が続かない、そういう気持ちが伝わらない方っていますよね。

その場合、無理にでも話題を作っておくべきでしょうか?もしくはスルーすべきでしょうか?

敢えて言えば、できることをして伝わらないのであれば、スルーしてしまっていいと思います。気持ちが伝わらないのであれば仕方ないですし、そもそも相手はあなたを受け入れたくないのかもしれません。それをいくら気を遣っても仕方ありません。諦めて仕舞えばいいでしょう。

リズムや波長があう人ばかりならいいでしょうけれどもそうでないと場合もよくあります。そんな時はその場で無理をしすぎても気苦労だけで何も残りません。無駄な努力は少なめにして気持ちが伝わるような相手に時間を費やすべきです。

たとえ努力して何かが伝わっても次もうまく行くわけではありません。きっと次も苦労します。そういう時には見切りをつけるのも大切です。

必ず気の合う人や気持ちが通じる人はいます。同じところで空回りのように時間を費やしていては人生もったいないのです。

また逆の場合どうでしょうか?

相手からの気持ちを受け取りづらい時もあるでしょうか?そういった場合はできることをしてそれでも気持ちを受け取りづらければ無理に合わせず丁寧に対応すればいいのです。

自然と相手の気持ちが伝わる人たちが残って行くように思います。

コミュニケーションも波長やリズムなのであまり無理しすぎず、自然体でいられるといいですね。

一歩ずつより良いコミュニケーションを心がけたい

誰かと話している時に相手にも気持ちよい空間を過ごしてもらいたいもの。

けれども余計なことを言ってしまったり、良かれと思って話したことがうまく伝わらず微妙な雰囲気になってしまったり。またうまくいったと思ったら後から実は気に障ってしまったと知ってしまったり。もちろんその次にその点を気をつけていければいいのですがまた同じようにやってしまったり。

そうなってくると人と話すのが嫌になってしまうこともあるかもしれませんね。

それでも人生は進みますし、気にしていてもどうにもならないのかもしれません。またその人が会ってくれるならあまり気にしていないのかもしれませんし、それよりも他のいいところに気づいて気に入って付き合ってくれているのかもしれません。

だからコミュニケーションを取る時に完璧を目指す必要もないですし、またうまくいかなくても次回に気をつけていけばいいでしょう。繰り返しもあるかもしれませんが、コミュニケーションも回を重ねるごとにより進化しいていくものだと思います。

一歩ずつ丁寧に接していくことができれば豊かなコミュニケーションを育むこともできるでしょう。

このようにしていくのが良い関係を築くには大切だと考えます。

全てがコミュニケーション

全てがコミュニケーションというと何のことかわからないかもしれません。
起きてから触れるもの出逢う人、全てコミュニケーションしていると考えてみるといかがでしょう。

朝起きてつけたテレビやラジオ、街ですれ違った人、近所で逢った人、改札口でぶつかりそうになった人、届けられた箱、買い物を入れてもらった袋、もちろん今日喋った人との会話などのやりとり…こう考えてみると全てがコミュニケーションです。

ですから、そこでどのような態度をしていたか、が後々に影響を与えてしまうこともありますね。例えば、買い物をしてくださった方への袋を破いて渡してしまったらそれだけでもらった人によってはきにするかもしれません(しないかもしれません)。運搬中のトラックで強引な車線変更で入られてしまってそのままその運送会社を嫌いになることもあるかもしれません。このような小さいような(でも小さくもない)コミュニケーションが後々人に印象などを与えて行くこともあるのです。

電話対応の感じがいいからそれだけで病院の予約がしやすい、といったこともあることでしょう。初めて行った会社の受付が感じ良いから安心することもあるでしょう。

人の態度や行為はそのままコミュニケーションと捉えてみるとどれも疎かにしていくべきではないでしょう。

だからこそ、コミュニケーションはいつでも発生していると考え、丁寧なことが重要であると考えられるのです。もちろん完璧な人間などいませんからいつも丁寧は無理かもしれません。けれども、昨日より今日、今日より明日、という感じで一歩ずつ気をつけていけばより良いコミュニケーションが広がっていくと思います。

またその振り返りによって、自分だけでなく相手のコミュニケーションが気持ちよくないときでも、調子が悪いのかな?何かたいへんなことがあったのかな?と想像できれば、相手にも寛容でいられるかもしれませんね。

コミュニケーションの常識

コミュニケーションに常識はあるのでしょうか?

方法、伝え方、頻度、それぞれ育った環境によってくるのではないでしょうか?

一度伝えたのだから伝わっているはず、とそのようなコミュニケーションを普段しているからと言っていると相手が忘れてしまったときにはうまく関係が続きません。伝えたけれども忘れてしまうこともあるかもしれないな、と思って連絡がなければアクションがなければこちらからまた連絡をしてみるということも大切でしょう。

また自分にとって大切なことだからきっと相手も同じように扱ってくれるはず、と考えるのも相手に期待し過ぎているのかもしれません。自分と同じように育ち同じように思考する人間なんていないのですからきちんと伝える、伝わっているか確認するということが必要です。

このように考えていくとコミュニケーションに常識はないとわかってくるでしょう。ですから自分のコミュニケーションのやり方が絶対ではないと考えて過ごしていきたいものです。相手に常識を期待してはいけないのです。

正解はひとつではないコミュニケーション

誰かとコミュニケーションを取るときに相手によって態度を変えるのはよくないことでしょうか。

誰とでも同じように接するつもりでもどうしても変わってくることはあるでしょう。せっかちな友達には急いで対応したり、のんびりした方にはゆっくりと待ってあげたり。つまり相手のよって対応は変わります。けれども実は変わっているのは受ける態度であってこちらからのアクションは同じようである方が第三者から見てわかりやすいと思います。

正解はひとつではありません。自分のやり方が誰にでも適応するわけではありません。なぜなら人それぞれ感じ方やその度合いは違うからです。そう考えてみると自分の考え方が正しくてそれをやればいいとも言えないでしょう。

ひとつのやり方でうまくいかなければ他のやり方を考えてみましょう。その次もうまくいかなければまた他のやり方も。でも何度もやってそれでもうまくいかないときは相性が悪いのかもしれません。それくらいの気持ちでいると気が楽になります。

こういったスタイルでないといけないと肩肘張らずに気楽にできるといいですね。それにはこのコミュケーションスタイルが正解と決めつけず、フレキシブルにすることです。そうすると誰とでも気軽にコミュニケーションできるのではないかと思います。

非効率なコミュニケーション

効率的なことがいいと言われれている時代、コミュニケーションも効率的に出来たらいいですよね。

直接会わなくてもコミュニケーションツールはたくさんあります。

便利ですからうまく使えば相手との関係性はより強固なものになります。

しかし、例えばSNSに慣れているならいいですが、メールしかしない人、電話の方がいい人、であったり、メールでないと伝えられないこと、電話でないと通じないこと、直接会わなければならないこともあるのではないでしょうか。

無理矢理自分のために、いや相手もきっと使えば便利だから、と一方的のツールだけを使えば自分は気持ちよくても、相手は居心地は良くないでしょう。それぞれのツールをどう使うかはそれぞれのツールを誰と使うと効果があるのか、と考えていくといいでしょうね。

相手に合わせる、相手が合わせてくれる、どちらの場合もバランスよくいければいいのでしょう。

このように考えてくると効率的なコミュニケーションツールに正解はひとつではないのです。

それを理解した上で使っていきたいですね。

しかし効率的なツールだけに頼っていていいのでしょうか。

信頼関係を築くにはそれに加えて非効率なコミュニケーションも必要かもしれません。

目に見えないところにこそ、例えば気持ちを表す仕草や態度や声のトーンとかにこそ、メッセージがあると言われていますから、そういったやり取りをする事で、つながりを強固な関係にできるでしょう。

そこでやはり信頼関係を考えるなら一見非効率に見える直接会ったりするコミュニケーションにこそ鍵があるように思います。みんなが効率的なコミュニケーションツールだけに頼っているからこそ、敢えて非効率なコミュニケーションにも目を向けてはいかがでしょう。

今の時代、ツールはたくさんありますからそれだけで完結するようにも思います。しかしそれをより強くする繋がりを持ちたいのであれば非効率なコミュニケーションもあることで今後は差別化にもなり、ますます重要なことになってくることでしょう。