全てがコミュニケーション

全てがコミュニケーションというと何のことかわからないかもしれません。
起きてから触れるもの出逢う人、全てコミュニケーションしていると考えてみるといかがでしょう。

朝起きてつけたテレビやラジオ、街ですれ違った人、近所で逢った人、改札口でぶつかりそうになった人、届けられた箱、買い物を入れてもらった袋、もちろん今日喋った人との会話などのやりとり…こう考えてみると全てがコミュニケーションです。

ですから、そこでどのような態度をしていたか、が後々に影響を与えてしまうこともありますね。例えば、買い物をしてくださった方への袋を破いて渡してしまったらそれだけでもらった人によってはきにするかもしれません(しないかもしれません)。運搬中のトラックで強引な車線変更で入られてしまってそのままその運送会社を嫌いになることもあるかもしれません。このような小さいような(でも小さくもない)コミュニケーションが後々人に印象などを与えて行くこともあるのです。

電話対応の感じがいいからそれだけで病院の予約がしやすい、といったこともあることでしょう。初めて行った会社の受付が感じ良いから安心することもあるでしょう。

人の態度や行為はそのままコミュニケーションと捉えてみるとどれも疎かにしていくべきではないでしょう。

だからこそ、コミュニケーションはいつでも発生していると考え、丁寧なことが重要であると考えられるのです。もちろん完璧な人間などいませんからいつも丁寧は無理かもしれません。けれども、昨日より今日、今日より明日、という感じで一歩ずつ気をつけていけばより良いコミュニケーションが広がっていくと思います。

またその振り返りによって、自分だけでなく相手のコミュニケーションが気持ちよくないときでも、調子が悪いのかな?何かたいへんなことがあったのかな?と想像できれば、相手にも寛容でいられるかもしれませんね。

コミュニケーションの常識

コミュニケーションに常識はあるのでしょうか?

方法、伝え方、頻度、それぞれ育った環境によってくるのではないでしょうか?

一度伝えたのだから伝わっているはず、とそのようなコミュニケーションを普段しているからと言っていると相手が忘れてしまったときにはうまく関係が続きません。伝えたけれども忘れてしまうこともあるかもしれないな、と思って連絡がなければアクションがなければこちらからまた連絡をしてみるということも大切でしょう。

また自分にとって大切なことだからきっと相手も同じように扱ってくれるはず、と考えるのも相手に期待し過ぎているのかもしれません。自分と同じように育ち同じように思考する人間なんていないのですからきちんと伝える、伝わっているか確認するということが必要です。

このように考えていくとコミュニケーションに常識はないとわかってくるでしょう。ですから自分のコミュニケーションのやり方が絶対ではないと考えて過ごしていきたいものです。相手に常識を期待してはいけないのです。